ぱからん、はからん

ものつくりの、ものかき。

舞台裏への、敬意

結晶された仕事に触れること。

 

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《ISSEI MIYAKE autumn & winter 2016 in Paris》Photo by Tomomi Ogata

 

「食べたときに意識にとどまらないのがいいスプーンだ」

どうしても誰のことばか思い出せないが、

あるプロダクトデザイナーの名言。

 

このことばは、使うことに限りなく沿ったデザインがいい、

という捉え方だけにとどまらず、

仕事への姿勢として、強く印象に刻まれている。

 

それを今日思い出すことになったのは、

人生初のパリコレに足を運び、

「10分」にかけられた情熱をその場で感じられたこと。

 

「お客さん」としてそこにいたら、10分はあっという間。

 

でも、一度、作り手に思いを馳せたら、

とてつもない緊張感と鋭さがおそってきた。

 

好き嫌い、とか、その分野の「受ける側」でいう良し悪し

そんな立場では見られなくなるほどの、真剣さ。

そのショーを完璧にするための勝負。

 

受ける側になって、そんな努力をつい忘れてしまうのは簡単かもしれない。

素敵でかっこ良くて、きっと才能なんだろう、とか

こんなもの作れたら楽しいだろうな、とか、

失礼ながら思ってしまうくらいの

引っかかりが「見えない」、結晶された仕事のあり方がそこにあった。

 

友人が、舞台裏の話を聞かせてくれて、

忘れそうになっていた視点に気付かされた。

 

「その努力を知っているから」

と感じながらその場にいる、ごく一部の人たちと、

そんなの関係なく、鋭い目でそれを受け取ろうとしている人たち、

そこにある普遍的な関係性。 

 

お客さんに舞台裏の努力は知ったこっちゃない。

作り手は、言い訳なく、注ぎ込むだけ。

 

「大変だったでしょう」なんて生半可な言葉は塵になる、

気持ちのよい向き合い方。

 

作り手と、受け手のぶつかり合いを感じたときに、

自分のあり方も駆り立てられる、

畏怖の念を抱きました。

 

これは作品の話にはとどまりません。

普段触れる「誰かの仕事」だってどれもそう。

 

あなたが見ているものの舞台裏には何がありますか?