ぱからん、はからん

ものつくりの、ものかき。

親の人生との重なり

今日はとても個人的な話を。
 
個人的だけれども、
私のような人とも、
子どもを持つ親御さんとも、
どこか重なるかもしれない、想いです。
 
 
この二年ロンドンで、
両親と離れて暮らしているけれど、
連絡はあまり頻繁にしていなかった。
 
仲が悪いわけではない。
 
元気にしているか気にしてくれているはずだけれど、
自分が大変な時ほど、うまく連絡ができなかった。
 
 
 
数日前に母と、ひさしぶりに電話をした。
 
どう切り出してよいかわからなかったけれど、
母が夏の卒業式に来てくれるという話を始めたら、
涙が止まらなくなってしまった。
 
卒業後の行き先も未定で、
制作も思うように進められていない、
今の自分が情けないという思いがどうにもならなかった。
 
海外の大学院に行かせてもらっているのに、
サポートしてくれているのに、
私はそれに見合ったことが出来ているのだろうか?と
プレッシャーがいつの間にかむくむく膨らんでいた。
 
そんなことを
はじめて母に話してみたら、
こんなに「深刻」な気持ちになっていたことが、
ほぼ思い込みのようなものだったと気付いた。
 
深刻にしていたのは、
自分で勝手に作り上げていた想像で、
親は私に、高いところにあるなにか完璧な像を、
望んでいるわけでもなかった。
 
そしてはじめて、
母が学生だった頃、働き始めの頃に
悩んだ話を聞かせてもらった。
 
 
その話をすべて書いたら長くなるけれど、
その内容自体よりも、
話せたことで感じた安心感の方が、
私にとっては大きかった。
 
どれだけ友人に相談しても、
先輩に相談しても、
埋まらない何かっていうのは、
親とちゃんと話をすることだったんだ。
 
六十年生きてきた人生の先輩としての親と
私を二十四年育ててくれたその思いを
自分の想像で勝手に押し曲げることなく
シンプルに聞いてみることだった。
 
そして、
子どもはいつまでたっても子どもと言うけれど、
親もいつまで経っても親だった。
 
それが、昔の苦労話を聞かせてもらっているうちに、
自分がおとなになったのだと気づけた。
親もどんどん「私の親である年数」が増えているのだと気付いた。
私が勝手に作り上げていた想像の一部は、
自分が子供の頃の親の「記憶のかけら」だったのかもしれない。
 
彼らの人生はこれからも更新されていって、
その年齢を私が超えることはない。
どこかで超える可能性も、、、あるけれど。
 
彼らが持っている、
私が生まれるまでの人生と、
私の人生との二十四年の重なりに気付いてみると、
それは他の何かとは比較にならないくらいの
圧倒的な、存在だということ。
 
あーだこーだ
私も自分の頭なりに精一杯考えるけれど、
 
それ以上に私のことを
あーだこーだ
考えてきてくれたであろう両親は、
 
私とのこの二十四年の重なりの中で、
よく突拍子もないことを言い出す娘、
海外に行ってしまったりするその娘を、
いろんな段階で受け入れて消化してくれたんだと思う。
 
 
最近私の周りに、
親御さんを大切にする人がいてくれることが、
なにか、それをややこしくしがちな何かを
自然に取っ払ってくれている気がします。
 
両親に感謝します。
そして今出会えている人たちと出会えたのも、
生んで育ててくれたおかげだから。
精一杯、幸せに生きたいと思いました。
 
おつきあい頂きありがとうございました。