ぱからん、はからん

ものつくりの、ものかき。

大げさくらいが嬉しい

褒めまくる。

 

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〈ロンドンにも桜〉

 

褒められるのが好きだ。

褒めるもの好きだ。

 

ちょっと大げさの方が嬉しい。

むしろ大げさじゃないとちゃんと伝わらないかも。

 

100点を取って褒められるのはわかりやすい。

 

でも、

それぞれの尊敬ポイントがきらっとするのは、

いろんな日常の一瞬。

 

その人にとっては、

 

できて当たり前のことだったり、

出来るようになってから日が経って呼吸のようになっていたり、

その「分野/世界」の中では「まだまだ」って思っていたり、

周りは出来ているけれど、身につけようとしている途中の努力だったり、

 

空気さえ元気にする笑顔とか、

周りを穏やかにするちょっとした気遣い、

話を聞いてもらうだけで考えがまとまる聞き上手、

こつこつと進んでいく姿勢、

遊ぶ働くのバランスの取れた生活、

忙しくとも気の届いたこぎれいなメイクや服装。

 

得意不得意、

びっくりするくらいに「その人スタンダード」が

存在する。

 

周りの中では「こういう人」ってあたりまえの認識でも、

改めて言われてみないと本人は気付いてないかもしれない。

言うまでもなさ過ぎて、

本人の耳に届かなかった嬉しいうわさ。

 

さっきあったばかりの人にも、

長い付き合いでも、

今更に思えても、

前に言ったからいいかじゃなくて、

「実は、こういうところすごいと思ってるんだ」って

伝えてみてください。

 

ちょっと大げさに。

 

光の内と外

光をとらえる。

 

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〈いつも通り過ぎていただけの教会に入れてもらった〉

 

教会のステンドグラスは、中からしか見えない。

 

その中では、

ステンドグラスというものよりも、

光を見ている。

 

茶室の虹窓、

家から漏れる明かり、

それは暗がりの中にうかぶ明かり。

 

明かり、というのだから、

周りは暗いだろうと思う。

 

暗闇を追い出すように隅々まで照らす明かりは、

いろんなことが自明になる。

行き過ぎた人工照明。

 

昼と夜の、自然な流れ。

夜と朝の、夕と夜の、

その実は途切れのない光。

 

暗がりの中で見る外の光は、

普段なれすぎていた光を

もう一度思い出させてくれる。

影が見えたとき

マウイでいただいた言葉。

 

影が見えたとき、

それは強い光が見え始めているということ。

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マウイ島、ラハイナのバニヤンツリー〉

 

 自分にとって新しいこと、

やったことのないこと、

飛び込んだことのない場所、

 

見慣れていないものに向き合うとき、

 

最初は、もんやりとしたわくわくが見えて惹かれ始める。

 

その先に、

行動を始めたとき、

真っ正面から光に向かいはじめたとき

 

自分の出来ていないことや足りなさや、

何も見えない不安が見えてきて

そのつよい影の中に取り込まれて

すこし足が止まる。

 

強い、闇が見えたとき、

それは、逆光の先にはそれだけの光があるということ。

 

いつも見慣れた光じゃ見えないだけの、

その先の自分を見ようとしていること。

 

つらい何かを感じたとき、

その影を作り出している光はなんですか?

書いてふわっと昇華させる

手で、紙に書き出す。

 

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〈晴れたハイドパーク〉

 

自分の中でうずうずしている感情を、

文字にしてみるのはこっぱずかしい。

 

どよんとすること、

ずきずきすること、

どきどきすること、

あああと叫びたいこと。

 

どうにかしたいけど、

はっきり見たくたくないことたち。

 

 

でも、

ペンを持って、

書いてみると、

案外大したことじゃない。

 

ごちゃごちゃでシリアスで大人の事情だった「はず」なのが

モモタロウのように、

すっぱだかで出てくる。

 

書いてみたら、シンプルだった。

 

なーんだ、そうなのか、それだけか。

 

自分で原因を作り出していたり、

好きで選んでいたものの反面だったり、

もはや時にまかせるしかないことだったり。

 

まずは、カフェでも公園でも、

きらくな場所を探して、

お気に入りのペンとノート、

もしくは捨ててもいいようなメモ紙を持って、

書いてみること。

 

えいやえいや消化しなくたって、

ドライアイスのようにふわっと昇華される。

関係性の触媒

ヒントはメタファーに乗ってやってくる。

 

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〈路上仮設小池〉

 

雨が降って水たまりが出来る。

落ちた水滴は、

波紋をつくって干渉しあう。

 

水たまりが出来る前、

一滴ずつは

単独だった。

 

じわっと

アスファルトに吸い込まれるだけ。

 

こんな近くに落ちていたって、

干渉しあわない。

 

水たまり、という触媒が現れて初めて、

それらはお互いの関係性を認識しあう。

 

それは水滴と水溜まりのように、

似通った関係で

つもった量の違いかもしれない。

 

はたまた、

とっても異質なもの。

 

あたまの中のアイディアが、

雲のように宙に浮かんでいたら、

ホットチョコレートを注いでみると、

干渉を始めるかもしれない。

 

遠い相手だと思っていた人が、

ささいなきっかけで、

ひとりの友人のおかげで、

するりと繫がることもある。

 

身動きの取れなかった問題が、

あるキーワードによって、

役割を見いだした歯車さながら

メキメキと動き出すかもしれない。

 

人にとって空気は見えていなくても、

魚にとっての水も、当たり前で、

 

触媒はそこにあるけれど、

見えていないだけかもしれない。

ちょっと恥ずかしいだけ・・・

いつか、

準備が整っていたらと思っていること。

 

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今の大学院を受けようと、まだ決める前に

学校を一度訪れたことがある。

 

そのときに迷い込んだ道を歩いてみた。

 

今までの人生を振り返ってみると、

いつでも、ぎりぎりで、

「準備万端」とはほど遠いところで動いていたことに気付く。

 

トントンのような拍子は踏んでないし、

もんもん悩んで、腰が重くて、

気付いたらぎりぎりになっていて、

どうしようもなく、

ねじこんだような、

気付いたらなんとかなっていたような、

はっきりと覚えてないような。

 

 

「まだその段階じゃないから」って、

やめちゃう場面は、小さくても大きくても

日々やってくる。

 

ついこの間、それを思い切って越えて動いてみたら、

恥をかく構えで持っていったら、

「やっぱりその段階じゃなかった」

ことがわかった。

 

恥をかいたような気もしたけれど、

どうしてもその先に必要だったから、

教えてください、って言って打ち明けた。

 

つまりは「どう足りないか」を学べた。

 

自分の外に出すのは勇気がいる。

今誰かに見せるのは恥ずかしい段階とか、

恥かきそうだからとか、

いろいろ考えてしまうとき、

 

Who cares? は、魔法の言葉。

「誰も気にしないよ。」

最悪、自分がちょっと恥ずかしいだけ!

やりたい/やるしかない/できる

ヒントはメタファーに乗ってやってくる。

 

やりたい/やるしかない/できる が合わさったとき。

 

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〈梨/ポートワイン/バルサミコ酢でつくったコンポート〉

 

最初からコンポートを作ろうと思って

梨を買ったわけじゃなかった。

 

日本の梨が大好きだから、

和梨っぽい梨を見つけて、

るんるんで帰ったら、

 

硬くて、

甘くなくて、

そのままじゃとても食べられなかったから、

 

前から気になっていたコンポートをつくることにした。

 

切ってしまったので、じゃあ今やろう。

 

 

行動するときに、

何をやりたいかを考える。

でも、いつでもいいことって、

「やりたい」だけじゃ後回しになる。

 

そこにやるしかない状況が来たときに、

そして、出来る状況もそろったときに、

一気に跳ねる。

 

それが今日の私で言えば、

梨のコンポート。

 

順番待ちをしている「やりたい」

が跳ねる要素を、入れてみるのもいいかもしれません。