人間だけど、光合成
今日は雨空の下で、太陽の話。
衣食住の「住」二話目。
東京にいたときは、
太陽はたいてい、当たり前にそこにあった。
確かに曇りの日もあるし、梅雨もある。
でもまさか、太陽があることを疑おうとはしなかった。
ロンドンの冬は、
分厚い雲が太陽を隠す。
その分厚さは、辞書の比じゃなくて、
よく織られた硬い絨毯のように、
生真面目にひかりを隠す。
「太陽って、ちゃんとこの上にある?」と
疑うくらいに。
曇りの日は、影が見えていない。
光は均一で、拡散される。
日没の早い街は、ずっと薄暗い部屋のよう。
たまに出る太陽が教えてくれるのは
太陽が出ると一瞬で温度が上がること。
光に照らされたものは、影をつくりその実体をはっきりさせ、
形、色、動き、触感までが拡張されるようだということ。
人間である自分も、光合成出来るかのように、
エネルギーがわいてくること。
あたりまえのようにあるものは、
頭で考えた重要なものではなく、
「はっきりとした存在を生かす」ために、
体が感じる大切なものだった。
春めく土の中からちょうど新芽が伸びてきたように、
晴れた日の太陽を、たっぷり浴びてみてください。
光の話は後日に続きます。