ぱからん、はからん

ものつくりの、ものかき。

しばらくのおやすみ

いつも読んでいただいている皆様、

ありがとうございます。

スターをつけていただいたり、

とても励みになっております。

 

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〈ロンドンの初夏〉

 

ここ数日、間が空いてしまい申し訳ありません。

 

本業とのバランスをとるために、

少しのあいだブログをお休みさせていただきたいと思います。

 

この記事を皮切りにえいやと思い立って始めたものですが、

hotorikoisu.hatenablog.com

 

70日間、毎日書き続けてみて、

ああだこうだアイディアをひねり出すチャレンジをしたり、

スターを頂けて嬉しかったりと、

 

おかげさまで、

自分だけのためにこっそり書いていただけでは分からなかった、

嬉しい経験をさせていただいております。

 

よろしければ、今までの過去記事も訪れていただけたら幸いです。

 

本業に全力を注ぎながらも、

また文章も書いていきたいと思っておりますので、

これからもどうぞよろしくお願い致します。

 

環境を整えて夏には再開できたらと思っております。

 

その際にはまたご縁を頂けたら幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

時間をかけて届く

贈り物、手紙。

 

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 〈お菓子と手紙が届いた〉

 

日本と少し離れて過ごすようになって、

とても嬉しいのが、

手紙やおくりもの。

 

海外だって、

ラインもメッセンジャーも一瞬で届く。

FaceTimeも、Skypeも、

会っているように、話せる。

 

でも、

会っていない。

その分伝わらないものもあるし、

その分伝えられる思いもある。

 

手紙を書いているときは、

自分よがりな想いが消えていく。

 

相手に届けたい想いを、

丁寧に手でつづること。

 

離れていなくても、

実際に切手を貼る必要がなくても、

特別な日じゃなくても、

 

ぜひ筆をとってみてください。

 

見かけだけじゃごまかせない

足もとを整える。

 

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〈新しいスニーカーを手に入れた〉

 

見た目の気に入った靴が、快適とは限らない。

私の場合、幅が広めで、高さはへらべったいから、

なかなか足にあう靴に出会えない。

 

パンプスも脱げてしまうので、

足首が留っていないと履けない。

 

きついとか、

底が薄くてかかとに響く、

とかは、履けば履くほどあきらかになる。

 

はきつぶしそうになって、

だんだんかかとがすれてきたり、

内側にすり減ったりも同じこと。

 

それでもしばらくは、

買い物に行く時間もないし、

何とかなるかな、とだましだましで居た。

 

そして一日中歩いていたり、

立って作業をしていたら、

どんどんごまかせなくなってきて、

歩くのがつらくなって、

やっと迎え入れた新しい靴。

 

以前の記事『アースする』でも書いたけれど、

 

地面とつながっている、

自重をささえてくれているその足を、

しっかり整えることは、

生き物として動き回っている限り、

大切なことだと思いました。

シンプルにしてから

一度シンプルにしてから。

 

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〈芝は、ただの平面じゃないけど、まずは芝である〉

 

つくること、つたえることの話。

 

想いが詰まっていたり、

長く時間をかけるほど、

話がややこしくなる。

 

想いを全部詰め込んだら、

ごちゃごちゃになる。

自分でも理解できないことは、相手にも伝わらない。

 

そして思いは膨らみ、

どんどんいっぱいいっぱいになるかもしれない

 

そんなときは、

これも、あれもの前に、

その「一番のこれ」が

シンプルになるようにする。

 

それは、

自分がふりだしに戻るのではなく、

ふりだしから歩んできた道を見直してみること。

立ち止まる必要があったり、

少し戻る必要があることを恐れないこと。

 

シンプルにできたら、

自分がどう伝えるか、料理するかを

そのあとに考える。

 

芝の凹凸、

海のさざ波、

それらはその「複雑な美しさ」を

最初からつくろうとして

つくられたわけじゃない。

 

引いて、遠くから見たら、

それはまず「芝」であり「海」であるのだ。

 

今の自分に必要なこと。

 

つたえる、つくるは、

まず自分が最初の相手となって、

シンプルに理解することが大切だと思います。

 

のうみそに入り込んでいくもの

目にする、耳にする言葉。

 

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その批判的だったり、

おおらかだったり、

堅苦しかったり、

攻撃的だったり、

する文体は、

知らない間に

のうみそのなかにするすると入り込んでいる。

 

同時に

一緒に居る人が喋る言葉、

しゃべり方、

メッセージの文体、

絵文字顔文字の使い方、

もどんどん吸収していく。

 

形だけじゃなくて、

じつは考え方も。

 

自分のオリジナルとは

とんとあやふやであって、

どれだけ外から入るものを断ち切ろうと、

断ち切れない。

 

逆を言えば、

切り放そうとしても切り放せない、

自分の中にもとからある土壌も存在する。

 

目に耳に入れるものを選ぶことも、

一緒に居る人が誰なのかも、

じわじわと影響していって、

自分を作り上げていく。

私は、私

自分が自分以外の誰でもないと言うこと。

 

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〈ぬいぐるみもちょっとずつ顔が違う〉

 

あらためて書くのも、

こっぱずかしいくらい、

 

誰に言われなくても、

当たり前なのに、

1+1=2を習う前から明らかなのに、

時として、

いや結構頻繁に、

それを忘れることで、もがいたりする。

 

そして、

誰かに言われて、何かを読んで思い出させられる。

 

自分がよくわかっているはずなのに、

自分がよくわかっていない。

 

私は、私であって、

少し考え方が似ていようと、

顔が似ていようと、

同じ人はひとりも居なくて、

だから、誰かの生き方と

本質的に比較は出来ない。

 

日本に居たときつらかったのは、

ロンドンよりも人種がみんな同じで、

同じくらいの歳でその教育を受けて、

「比較」がしやすかったこと。

 

人種が違うと、文化が違うと、

違うのも当たり前だな、ってわかる。

 

とはいえ、

分かりやすいかどうかはおいておいて、

状況がどうであっても、どこにいようが、

私は、私である、

あなたは、あなたである。

 

そんな普遍的なことを数日前にふと

思い出させられたので、

 

これを読んでいる方にもお伝えします。

アースする

地に足をつける。

 

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〈芝生の上ではだしになれる季節〉

 

グラウンディングという言葉もあるけれど、

 

物理的にも、状態的にも、

自分がそこにちゃんと在る/居るということ。

 

頭だけで考えていると、

それが妄想だろうが、実際の出来事だろうが関係なく、

そのもとにある、自分の体を

置いてきぼりにしがち。

 

ふわふわとして、

(それが楽しいときはいいけれど)

不安の元になったり、

頼りどころを見失う。

 

頼りどころは、その足で地面に立っている、

その自分の体であり、

存在していることへの認識。

 

難しく考えなくても、

 

それを意識して地面に立つと、

できたらはだしで草や土の上に立つと、

「なにか」が「ここ」に戻ってくる感覚がある。

 

「ここ」はその地面であり自分の体で、

「なにか」は自分の存在かもしれない。

 

特別な場所に行く必要はなくて、

自分が立っている場所でできること、

ぜひお試しください。